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zoom RSS 不思議な地名

<<   作成日時 : 2018/03/10 21:14   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 4

ある日
ドライブに行く途中に信号で止まったところで、目についたものがありました。

画像


電柱の脇に寄り添うようにあります。

画像


喜婦嶽大○

と読めます。


この不思議な道標と読みが気になって検索してみました。


すると 
ひっかかったのは


亜炭    でした。



私も、昔に父母より聞いていました。

愛知では、長久手 春日井 日進 名東区 天白区

などで、採れた燃料のことです。


戦時中によくつかわれて、上記の至る所で盛んに採掘されたのだそうです。

しかしながら、どこをどう掘ったのか、さっぱりわからず

その広さ深さもかなりのものだと言うことでした。

少し前に新興住宅地が陥没するということも発生しています。

昔から、地元の人たちは、○○のあたりは、亜炭鉱の穴があるから、

土地や家を買ってはいけないと言う、噂もあったそうです。

亜炭ですが安いので戦時中に燃料に使われていて、

母は、名古屋市東区徳川町に戦時中住んでいましたが

瀬戸方面から、牛車で亜炭を売りにきたそうで

お風呂を沸かすのにつかっていたそうです。

しかし、亜炭は火の付きがわるかったようです。



喜婦嶽というのは地名でした。


画像


そして、そこには地蔵尊が二体ありました。
画像


道路に背を向けて建っています。

そして石碑に次のように書いてありました。

画像


昭和7年5月5日午後3時ごろ、喜婦嶽炭坑内出水事故に依り坑内作業員の約半数

炭坑夫13名は出坑できず坑内に閉じこめられた為、直ちに地元消防、警察、

日本赤十字等各方面の方々に依る救援活動、排水も空しく、7.8日は過ぎ一人の遺体も

見る事が出来ず、救援活動は打ち切られ、遺体は地下70mの地底に永久に眠ることになった。



日頃、ダムをめぐり、建設で犠牲になった方々の慰霊碑を見ますが、

戦時中に人々の暮らしを支える亜炭という燃料採掘で、犠牲があったことを

あったと知りました。

一番初めの電柱の脇にあったあの道標は、電柱にも負けず

あそこにあったということは、もしかして・・・・


と思ったりします。

最後の○の字がわかりませんが、

私には、

喜婦嶽大神と見えるんです。


                             合掌


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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
今の暮らしをしている中にいろんな人の
犠牲があったことを、忘れないように
しないといけませんね!
スイングおじさん
2018/03/11 11:33
>スイングおじさん
ほんとに。
戦時中のことは、なかなか語られませんが、本当は、もっといろんなことがあったんでしょうね。
それを知っている年代の人たちはだんだんいなくなってしまっていますね。
南天
2018/03/11 23:00
亜炭、初めて聞く言葉でした。モノが無い戦前戦後だからこそ利用された燃料なんですね。その実用性や採掘跡、事故など伝える人がいなくなれば忘れ去られて行くのが世の常ですね。今や終戦記念日の意味を知らない若者がどんどん育っている時代ですから。。。
うずら
2018/03/14 11:52
>うずらさん
こちらでは、亜炭は私くらいの年齢だと、知っている人も多いと思います。
親世代がそれを利用していました。
石炭より安いので、農業の傍らにそれを掘って生業にしていたという話もあります。
しかし、やはり、地面の下、こういう痛ましい事故もあったんですね。
特に戦時中、それでも救出活動を懸命にされたということです。
昔のことは忘れられてしまいます。
たかが石碑されど石碑
記録に残すと言うことは大事ですね。
私も少しでも力になればとアップしました。
南天
2018/03/15 09:19

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